プログラミングについて解説するブログは数々あるが、ネット上に存在する情報量は、巷では「たくさんある」と言われているが、それほど潤沢ではないと感じる。
例えば、pythonに限って言えば、ネット上で探し出せるpythonの情報のほとんどは、公式ウェブサイトからpythonをダウンロードすることろから解説し、インストールし、数行のコードを書いて終わる。
つまり、プログラミングを初めようとしている初心者に向けた情報ばかりなのだ。それは公式サイトか、公認のウィキサイトがやってくれれば他は必要ないのだが・・
もし、ビギナー向けの情報を一か所にまとめてしまえば、ウェブ上のpythonに関する情報は、下手をすれば10分の1 になる可能性すらある。丁度、こんなふうに。
そういった意味で、ビギナー情報の多さに安心して、pythonを始める人は多いが、入ってから中級クラスになると途端に足踏みが始まる。
その時、初めて気づくのだ。ネット上の情報の少なさに。
情報の焼き直し
プログラミングで少しでも凝った処理について調べようとすると、途端に情報が少なくなる。僕の場合は、OpenCVに関する情報がそうだった。
時には、日本中でこの問題に取り組んでいるのは、僕一人だけなんじゃないだろうか?と思えるほど孤独な戦いを強いられる。
まず、ブロガーの心理としては、そのようなニッチな問題解決についての記事を書いたところでアクセスが見込めない、というのがある。だから、誰も書きたがらない。
そしてちょっと調べれば、すぐに情報を得られるビギナー向けの記事ばかりが、コピー&ペーストされ、量産されるわけだ。
ネットリサーチをしていると、次のような瞬間がある。
「あれ、このコード、さっきのブログに載ってたな・・」
それは、どちらかが情報源で、どちらかがそれを見て記事を書いたということだ。
こうした技術系ブログ界隈の現状を見ていると「水は低いところへ流れる」という言葉を思い出す。誰もが、楽をしたがるという人の性が垣間見えてくる。
ネット上で本当に価値のある宝石は、アクセスの見込めない深きところにあるのかもしれない。そして、それを生み出すのは、本当に限られた「職人」だけだ。
履歴系記事の読みにくさ
それでも技術系ブロガーの中には、ごく少数だが、自分の実体験を元にしたレアな情報を提供する人たちもいる。彼らは、アクセスが見込めなくとも、その成果物をブログ上に「履歴」として記録するのだ。
この履歴系の記事は、まったく、人が読むために整形されていないために読みづらいことこの上ない。しかし、その粗野な記事は、紛れもなく、書き手が実際に指を動かし、プログラムが動くかどうかを確かめた証なのだ。
それが、簡単に手に入る情報の上で検証されたものなら、わざわざ履歴として残したりはしないだろう。
Comments are closed.